前回の公務員体験記②では、税大での研修についてお話ししました。
(公務員体験記①から読んでもらえると、より分かりやすいかも)
今回の公務員体験記③は、配属されてからのお話です。
※注意※
少々愚痴っぽくなる部分もあるかと思います。私が在籍していた当時の出来事であることと、個々の職場の環境に因る部分がありますので、あくまでもひとつの体験談として読んでください。けして、「この仕事が悪だ!」とディスるものではありません。
こんなあなたに▼
- 署に配属されて~1年くらい
- 職場の人間関係に悩んでいる
- 仕事の内容に悩んでいる
- ・公務員ガチャ…爆死したらどうしよう
反対に、
・バリバリ働いて出世したい
・税務調査のときの着眼点や重課を取るコツを知りたい
みたいな方にはこの記事は時間がもったいないです…。申し訳ない。
→解決策にはならないかもしれませんが、「その感覚」は自分だけじゃないはず…!いましんどいあなたに届きますように。
先にお伝えすると、私は初回ガチャ(着任時)のみSR・SSRを引きましたが、それ以降は全部大爆死でした。特に上司・同僚ガチャについてはもう最悪。ハラスメントデッキが組める散々たる結果で詰みました…。
初任地へ配属
4月の初旬に初めの税務署に着任。
実家から通える署に配属された人と、そうではない人でかなりスケジュール感が変わってきます。
私は官舎に入ったので卒業して引っ越し~着任までかなりタイトでした。着任日は決まっているのに、現在の居住者が出ていくまで自分の荷物を送れないので焦りました。公務員という職種柄、転勤はつきものなのでこれは定期的に起こります。大変!
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4月~6月
6月までは管理運営部門という総合窓口のような部署で広く浅く仕事をします。
その当時配属された部署ではわりと人に恵まれたかなという感じで、慣れないながらも簡単な事務から経験を積みました。電話対応や窓口業務などは、かなり緊張感がありました。知識も経験もまだ浅く、間違った案内はトラブルの原因にもなるのでひとつひとつ先輩や上司に確認しながら進めていきます。
職場環境としては、8割方男性で女性も同世代も身の回りにほぼいないという感じだったので、心細さはかなりありました。少しずつ増えていますが、それでもまだ女性職員は少数派です。
税務署は7月で年度が切り替わるので、合わせて転勤もあります(転勤ガチャ)。そのタイミングで、本来の部署への内部異動。
このときの転勤で3か月で仲良くなれた先輩や上司がみんな転勤してしまい、それも後の状況につながっていきます。不思議なことに相性のいい人ほど転勤していきます。合わない人ほど残ります(笑)相手が飛ぶか、自分が飛ぶか。仕方のないことですが、本当に一人ぼっちになったような漠然とした不安がありました。
7月。新体制スタート
数少ない知り合いがいなくなり、新しい部署に異動。
多いときで3分の2くらい中の人間が入れ替わるので、引継ぎや荷解きなどで周りはなにかとバタバタしています。
税務署の実情として、かなり人不足です。民間企業と違って足りないからといって大幅に補充することもできません。年に1度新人が入りますが各署に数人程度で早くに辞める人も多いので人手はなかなか増えません。最近では、総合窓口や繁忙期の応援には臨時職員を採用するなど、アウトソーシングしている部分もあります。一方、各専門部署は守秘義務や事務の専門性の高さから、外注するわけにもいきません。個々が担当する対外的な仕事(いわゆる税務調査)には、それぞれ年間で処理するべき件数のノルマがあります。署の規模にもよりますが、年間20~30件弱くらいでした。そのノルマもなかなか厳しいもので、相手によっては調査に協力的でない・困難事案などは対応にかかる日数もかなり変わってきます。対外的な事務だけでなく、来庁する納税者の対応や内部での書類仕事も多くあります。そのため、現場ではゆっくり若手に指導をするという時間・人員を割けないことが多いのです。私の場合は若手1人での着任でしたが、それでも余裕はなかったようです。
最近はOJT(On the Job Training)が主流ですよね。職場も形式上は導入していましたが、先述の通りトレーナーとマンツーマンはできません。実務でトレーニングを積むというよりは、習うより慣れろスタイルで実務にほっぽり出されるというイメージです。
法律の下での仕事なので、分厚いマニュアルが令和の今の世でも現役でした。法改正やシステム改修の度にマニュアルも変化していきますが、これが本当に不合理なモノだったなというのが感想です。自分で調べる→やってみる→解決というプロセスは重要で、私自身もそういう意識はあります。受け身になって自主性を欠いてしまうのは良くないです。ただ、「マニュアルがある」「データベースにある」というのを、指導しない理由に使う人が多かった。実際、マニュアルはそんなに万能ではありません。
この人には、まず1から10までひと通り説明をしよう とか
この人には、1、2まで教えて様子を見よう とか
そういう工夫がないので、若手だけでなくトレーナーも育たないよな…と思いました。
30代40代の中堅職員が少なく、ある程度キャリアがあって定年も近い人が多いので
「自分たちのときはマニュアルもなかった」
「パソコンもなかった」
「いまのやつらは恵まれている」
「見て覚えろ。そんなことわざわざ聞くな」
「若手の指導なんて誰かがやっといてくれ」
なかったものばかり数えて昔とは変わってきている環境を否定する
そんな時代錯誤の意識が残っているのかもしれません。はたまた、当時の周りが偶然そういう人の集まりだったのか。
用語も難しくてなかなか理解できないマニュアルで足止めするなら
自分が日頃やっている手順やポイントをサッと伝えた上でやらせてみる
ずっと手が止まって進まないより、こっちの方がよっぽど効率がいい気がします。
若手が早く育てば、任せられる仕事の幅も広がって事務分担にもプラスなはず…。
…と今となっては疑問を感じますが、当時の私は言われることをすべて真っ当に受け取って毎日勉強することで精一杯でした。
仕事への疑問と不安感
私も外部調査の担当だったので、ノルマ件数を割り振られました。初年度は20件ほど。
最初の2件ほどはベテラン職員に同行という形でしたが、連れて行くだけで指導する気はない人だったのでかなり孤独な数日間だったのをいまでもはっきり覚えています。わからないことを質問すれば「そんなことを言っていたら進まない」「それはどうでもいいこと」と言われました。たしかに何年もやっていてわかっている人からすればそんな疑問も観点も大変につまらないことだったのかもしれませんが、わからないなりの着眼点そのものを否定されるのは傷つきますよね。調査を受け入れる納税者も基本的には緊張していて、中にはこちらを敵視する方もいます。初めては、かなり肩身の狭い思いをした3日間でした。
その後、ひとりで外に行くようになります。
昔ほどではないそうですが「数字を取ってきてナンボ」という風潮はまだ根強いです。
「なにか(不正や指導事項)があるはずで、それを見つけるんだ」という先入観を持って、現地に行くんです。「税務署の常識は世間の非常識」なんて言葉もありました。計画性や悪意のあるケースもありましたが、実際は、軽微な記帳誤りや会計上と税法上の解釈の齟齬で収まることの方が多いのが体感でした。
ただ、とりわけて不正が見つからなかった場合でも手ぶらで帰ることはNG。
その日の経過を上司に報告したときは「明日はここを見てこい」という話になりますが、きちんとやっている人を相手に、ないものはないんですよね…。納税者側としても、指導を受けないに越したことはありません。結局、無理矢理経費や棚卸関係の小さなミスを指摘するなど、まさに「重箱の隅をつつくような話」になってしまいます(そこを説明・説得してうまく収めるのも仕事なのですが)。職場と納税者の間で板挟みになりながら「そこまでしないといけないのかな?」とかなり複雑な気持ちになりました。
数字を出せない職員は部内での評価は上がりません。私もです。
仕事上出世できないだけならまだいいのですが、数字が出ない=仕事ができないやつという扱いを受けがちです。「自分の給与分くらい持ってこい」ってやつですね。どんなに中での仕事を頑張っても、結局、評価対象は外でどれだけ課税してきたか。内部事務専門の人も一応いるのですが、内部担当者をなんとなく格下に見る雰囲気も外回りが苦手なところのひとつでした…。内部処理してくれるからこそ外の仕事が進む部分も多いのです。まさに縁の下の力持ち。審理担当とかとてもカッコいいですよ!
この頃から仕事や職場に対する不安・疑問が強くなって、何のためにこの仕事をしているのかがわからなくなっていきました。
ただ、ここまではまだ「仕事内容への不安」の方がまだ大きかったので、とにかく知識と経験を積めば楽になるんだというモチベーションを頼りに仕事ができていました。要領がわかればもっと働きやすくなると信じて。
思えばこの頃から体には徐々に歪みが起きていました。
その2へ続く→
なんだか不穏な終わり方…
おわりに
書いていて長くなってしまったので一旦このあたりで一区切りにしました!
仕事内容についての詳細を伏せているのでふんわりとした内容です。
拙い文章で個人的な体験談に過ぎませんが、次回以降も読んでいただければ嬉しいですm(__)m
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ひとりじゃないよ。
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